cubの日記 年収100万円の楽しい海外生活術・台湾編

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【ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ11月10日発売】cubおじさんの子供の頃の夢が手のひらサイズで発売!それは涙なしでは語られないクソゲーの歴史だった。

[記事公開日]2016/10/03
[最終更新日]2016/10/02

【ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ11月10日発売】cubおじさんの子供の頃の夢が手のひらサイズで発売!それは涙なしでは語られないクソゲーの歴史だった。

子供の頃の夢は

  • 蛇口をひねればファンタが出てくること
  • ゲーセンのゲームが家で好きなだけ出来ること

ども、昭和に子供時代を過ごしたアホな子の代表のようなガキでしたcubおじさんです。

子供の頃の一番の楽しみはデパートの屋上に連れて行ってもらうことだった!?

私が小学生のころはまだゲーセンが一般的になるちょっと前で、ゲームを気軽に楽しめる時代でありませんでした。

そして何より

ゲーム=不良の集まる場所

そんなイメージがあったため、学校ではゲーム禁止令が出された時代でした。

テーブルゲームが置いてあるゲーム喫茶が主流で当時は24時間営業で不良の溜まり場と言われていた。

当時、ゲームをする場所といったら

  • 近所の駄菓子屋の入り口にあったゲームをする
  • ゲーム喫茶に行く
  • デパートの屋上に行く

この3つぐらいしかなかったと思います。

近所の駄菓子屋にゲーセンがあったのですが、そこでゲームをするとなぜか学校の先生に見つかり、学校で怒られたものです。

ですから、大手を振ってゲームを楽しめる唯一の場所がデパートの屋上のゲーセンコーナーで遊ぶことでした。

もうデパートへ行く=屋上のゲーセンで遊べる

いゃっぽおおおおおってな感じの時代でした。

1980年代前半の話です。

家庭用ゲームはエポック社の「与作」だった

家庭用ゲームというとファミコンから歴史が始まったと昔を知らない人は思いますが、ファミコン以前にも沢山のゲーム機が発売されていました。

ただし、どれも恐ろしく高く貧乏ピープルには手の届かない物ばかりでした。そんな中、辛うじて手に入ったゲーム機がエポック社のカセットビジョンでした。

当時の値段が本体が13,500円 ソフトが4980円

私の家では当然買ってもらえなかったのですが友人は購入して、それこそ毎日のように友人宅に入り浸ってましたね。

当時はこんなゲームでも大喜びでした。

でも、子供心に思っっていたのですよ・・・・

「これじゃない(/ _ ; )」・・・と

当時は業務用のゲームと家庭用ゲームのグラフィック差もう圧倒的にあって、子供のころは100円玉も握りしめて・・・そもそもその100円も大して持ってないのですから、ゲーム時代をすることなく、ゲームをやっている大人を後ろから眺めているしかなかったんですよ。

その時の人気ゲームがビルをよじ登るゲーム「クレイジー・クライマー」

 

このゲームは二本のスティック棒を上下にガチャガチャ動かして操作するゲームだったので家庭用ゲームに移植されるのが難しくて発売から20年ぐらいゲーセンに置いてありましたね。

今でも置いてあるゲーセンもあると思う。

恐ろしく難易度の高いゲームで自分がやると一面をクリアーできない仕様でしたね。

まぁ、大人が100円玉ガンガン入れてケームしてる時代でしたから、小学生がクリアーなど出来るわけないですね。

そんな中、ファミコンが発売されたわけです。

ファミコン=ゲーセンのゲームが家で出来る!

ファミコンが発売された当時はゲーセンのゲームが家で好きなだけ出来る!

子供の夢が叶った時代だったんです。

わーーーい、家で好きなだけゲームができる。

当時のゲーセンはナムコのゲームが大人気だったので、ファミコン=ナムコのゲームで遊ぶ。

そんなイメージを持っていました。

まだ、スーパーマリオなど任天堂のオリジナルファミコンゲームの人気が出る前。

特に当時大人気だった「ゼビウス」がファミコンで発売されると発表された時はもう我慢できなくて親に頼みこんだ記憶がありました。

このゲームは隠れキャラなどが出てきて当時はむちゃくちゃ珍しい仕様で、途中、板のような物が流れてくるのですが、あれも連射すれば破壊できるなどいろいろな攻略法が噂されていた名機でしたね。

やっと購入も抱き合わせ販売に泣く( ;  ; )

ファミコン発売後すぐには購入してもらえなかったのですが、発売から数年後にやっと私の家も購入してもらえました。

確か、お年玉を貯めて購入したんだと思う。

しかし、その当時はすでにファミコンが大人気ですぐに手に入るものではありませんでした。

購入条件として、本体に人気のないクソゲーを数本抱き合わして購入する抱き合わせ販売が一般的でしたね。

クソゲーの代表として購入されたのがクルクルランド

ぼっぼくがやりたいのはこれじゃない(´・ω・`) 

パックマンやギャラガやマッピー・ゼビウスがやりたいんだ!!!!!!

ゼビウス購入にはクソゲー数本抱き合わせで、確か3万近く購入資金が必要で、私はそこまでお金がなかったので、やりたいゲームが購入する前に資金が枯渇してしまう、理不尽さを味わってましたね。

大人って汚い( ;  ; )

間違いなく人格形成を歪めてしまいましたね。

当時はまだ中古ゲーム屋とかもなくて、友人と話し合って、違うゲームを購入して交換して遊びなんてやり方が一般的だったと思う。

名作「ドラゴンクエスト」発売

ファミコンの人気を決定づけるゲームが1986年に発売されるのですが、当時は全く人気がなくて同日日に発売されたアーケートゲームの移植版「魔界村」の方がずっと話題になっていました。

まだ、この頃までファミコン=アーケートゲームの移植のイメージでした。

しかし、アーケートゲームのグラフィックも年々上昇していて、この頃になると

これじゃない感(/ _ ; )

がすでにありましたね。

グラディウス・ドラゴンバスター・あたりは明らかに無理やりファミコンに移植されてがっかり感が半端なかった記憶があります。

アーケード版「魔界村」

ファミコン版「魔界村」

そんな中、初代は全く話題にされることがなかった「ドラクエ」

ゲームといえば、アーケート版の移植が主流でしたから、ゲームのジャンルと言えば、シューティングやアクションゲームが主体でロールプレイングゲームなど当時は

何それ( ? _ ? )

な時代でした。

ただ、私はPCゲームでハイドライドやザナドゥなどを知っていて・・・無論PCなど高すぎて購入できなかったが

PCのゲームが移植されるんだ!

そんなワクワクした時代でもありました。

でも・・・・・

復活の呪文がクソ仕様だった(/ _ ; )

当時のドラクエ・・・ファミコンゲーム全般にセーブ機能がなくて、ドラクエのようなロールプレイングゲームはゲームを終了するときに適当な数字やアルファベットが出てきて、これを次回プレイ時に入力すると続きからプレイできるのですが、これが子供にとってはクソ仕様で

kそjcいfsjzおp821z@3っfz0s8r

こんな感じでテキトーに復活の呪文が出てくるのですが、当時のブラウン管など画像が荒くて読めないわけですよw

ですから、復活の呪文を紙に書いて、次回入力すると

復活の呪文が違います!

なんてのがしょっちゅう出てきて、泣きながらもう一度前からプレイするなんて普通でしたね。

いやーー、今考えるとマジクソでしたね。

確か、ドラクエ3になってセーブ機能が搭載されたと思う。

まぁ、同時期発売された魔界村も絶対クリアー出来ないだろう&グラフィックもこれじゃない感満載だったですがw

昭和のゲームの話を書いたらキリがないのでこの辺にしますが、まぁ・・何が言いたいのかと言うと。

手のひらサイズの「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ」が11月10日に発売されるのです。

30本のクソゲー抱き合わせで(笑)

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クソゲーは言い過ぎですね(笑)

まぁ、抱き合わせ販売に心に傷を持っているおじさんなのでw

値段も5980円(税別)

当時のファミコン本体14800円・・カセット一本3800円〜でしたから、抱き合わせっも許せる価格でやんす。

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